かぐや姫の物語から

少し前に高畑監督が他界されました。

その関係かTVで遺作となった

「かぐや姫の物語」を放映していたのを、

録画して一昨晩見ました。

 

高畑監督の作品は、

「火垂るの墓」は、哀しさとやるせなさ

が心に響きすぎ疲れる物語ですがファン。

ですが、他の映画は少し苦手だったので、

どうかな?と思って鑑賞。

 

 

赤ちゃん・幼児の「かぐや」は、

翁・媼に溺愛(うちのジジのようw)

されてとても可愛く、近所のガキんちょ

との遊びも微笑ましい。

 

長じたかぐや姫の自由への憧れと葛藤・

哀しさ、月の冷徹さ、ズレているけれど

かぐや姫への愛にあふれる翁、

とてもいい物語でした。

 

私は、大人の恋だの愛だのよりも、

成長や親子の愛、命の連なりなどに

感動するタイプなので、もともと、

ファンになる要素はあったのですが、

お気に入りの一本になりました。

 

 

さて、本題です。

物語の最後半で、「かぐや」は

「生きている手応え」という言葉を

何度か発します。

 

途中から姫として扱われ、手応えの

ない生になっていってしまった。

貧しくても不自由でも

「生きている手応え」、「生の実感」

リアリティこそを渇望していた。

 

 

ひるがえって現代、

人不足のご時世、かつGW明けの5月病

の時期だからか分かりませんが、

仕事に楽や簡単、便利ばかり追い求める

人が増えているような記事をよく見ます。

 

また辞められたら困る・・・と

自分可愛さで叱れない顔色伺いの上司

先輩も増えているように思います。

 

恵まれすぎているが故の難しさ

はあると思いますが、改めて人生の

大部分を占める働くということを

手応えのあるものに、嬉しいも辛いも

あるリアリティあるものにしたいと

思いました。

 

「かぐや」のように後で後悔しなくて

よいように・・・

 

 

 

もう一点書きたいことがありましたが

また次回に書きますね。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です