DID 暗闇での気づき

皆様は、真の暗闇を体験したことありますか?

資格にまったく頼らずに、人とコミュニケーション
したことありますか?


私はつい先日体験しました。

「ダイアログ・イン・ザ・ダーク(DID)」という体験です。


もともとは、1988年に、ドイツの哲学博士ハイネッケさんが
発案したもので、これまで世界47カ国以上で開催され、

900万人を超える人々が体験してきた内容です。

日本でも24万人以上が体験しているそうです。
日本では竹芝と神宮外苑に常設の場所がありますが、
各地でイベントとしても開催しているようですね。


私は竹芝の常設のところに
仲間と一緒に行きました。



どんなことをするかというと、詳細はネタバレに
なるので書けないのですが、

白杖(目の見えない特徴の方が持っている白い杖)
をもって、純度100%の暗闇の中で、
お互いにコミュニケーションを取りながら、
いろいろな体験をするというものです。


流石に、目に頼り切っている私達だけでは
危ないので、トレーニングを積んだ、目に頼らない
生活をされているアテンドがしっかりガイドしてくれます。


100%暗闇に入ると、うっすらとすら何も見えません。
(見えたら、きっと、この世ならざるものですねw)


頼れるのは、白杖の間隔と、
足裏感覚、そして耳が主なものとなります。

お互いも簡単にぶつかります。


そんな中で、色々な気づきがあります。


自分が如何に視覚に頼っていたのか?
を痛感することは勿論ですが、


人によっては、言葉にしなければ
何も伝わらない。自分から働きかけないと
何も起きないことを痛感したと言います。


積極的に言葉にすることで、
いつもと違う関係性を感じたという人
も居ます。


私はどうだったかというと、
一緒にいった仲間への信頼もあってか
暗闇自体は怖くなかったですし、
自分自身が話すことについては、
そこに特別な体験はありませんでした。

しかし、何より、人の声や物音に
耳を傾けることの豊かさを実感・体感
したというのが大きかったです。

暗闇の中で、皆で円になった語らいあう
場面など、自分は話さずに、ずっと
皆の声や息づかい、音律の背景にある
気持ちを感じていたいな・・・と思いました。

如何に自分が、視覚に囚われているか?
を痛感しました。




「眼聴耳視」という言葉があります。

眼で聴いて、耳で視るということですね。

もともと「大無量寿経」にある言葉で、
陶芸家の河井寛次郎さんが好んで
使っていた言葉です。


4・5年前くらいから
「眼聴耳視で、即啄同時の支援をする」
と言って目指していましたが、
全然できてないよな・・・
と改めて反省しきり。

改めて、視覚以外も意識して、
フルネスで過ごす時間をもつように
したいと思いました。


ダイアログ・イン・ザ・ダーク以外にも、
ダイアログ・イン・ザ・サイレンスという
恐らく聴覚を閉ざすものもあるそうなので、
それもいずれ体験してみたいと思います。