ライフチャートでよみがえった「昔のワクワク」

チームSKM 吉田です。

先日、コーチングの「ライフチャート(人生の輪)」に
取り組む機会がありました。

人生を仕事・健康・人間関係・自己成長など8つの
領域に分け、現在の自分のバランスを俯瞰するツールです。

自分自身と向き合う中で、私は「楽しみ/娯楽」の
項目で手が止まりました。

「自分は本当に何を楽しみにしているのだろう?」

コーチングが終わったあとも、
このことについて考えていました。

心の奥底に眠っていた「かつて夢中だったもの」が
少しずつよみがえりました。

その一つが
私の世代はマンガの影響もあり、
幼い頃からスポーツカーに強い憧れを抱いていました。
スーパーカーブームも、F1もそうでした。


初めて手にした「夢の車」

私が初めて買った車は、SUZUKIのセルボ(初代)です。

とはいえ、皆さんにはあまりピンとこないかもしれません。

しかし、私にとってはスポーツカー風の軽自動車でした。

中古車屋さんに並んでいた車を、
友人がわざわざ教えに来てくれました。

当時25万円ぐらいだったと記憶しています。

軽自動車で車体は低く、2ストロークエンジンを積んでいました。
(吊り下げ式のクーラー(後付け)が付いていて、まさに昭和の一台)

もちろん本格的なスポーツカーではありません。
でも私にとっては、スピード感を味わえる、
パワーのない小さなスポーツカーで、狭い空間の
中で運転する楽しさを教えてくれた大切な一台でした。

そんな記憶を思い返していたタイミングで、

まさにその「夢の車」であるマツダ・ロードスターを
ゼロから生み出し、世界一へ導いた開発者たちの
ドキュメンタリーを目にしました。
彼らの生きざまに強い共感を覚えたのです。


絶望からの立ち上がり:「責任は俺が取る」と決断した初代リーダー

物語は、経営危機に陥った自動車メーカーから始まります。

大赤字、人員整理、販売店への出向という逆風の中、
初代開発責任者・平井氏は出向の経験を経て

「他社の真似では未来はない。自分が納得できる車を作りたい」と
決意します。

彼が掲げたのは、

「新入社員でも手が届く100万円台の2人乗りオープンスポーツカー」。

当時オープンカーは高級車が主流で、
社内からは「売れるはずがない」と猛反対。

しかし平井氏は「責任は俺が取る」と退職覚悟で直訴し、
予算も人員もない状態から一人で立ち上がりました。

まさに、たった一人から始まったプロジェクトでした。

17時からの課外活動で集まった有志たちは、
夜な夜な小部屋で議論を重ねました。

彼らが追求したのは、数値スペックではなく
「人馬一体の走る楽しさ」。
「八方美人になるな」「若い人に議論させよ」と
平井氏は若手を信じ、徹底した軽量化とコスト削減に
挑みました。

彼らの発想は明快でした。
「速い車」ではなく、
「速く走っているように感じられる車」を作ること。

「速い車」は日本の公道では高性能を発揮できず、
むしろストレスになる。

だからこそ、運転席に座った瞬間にワクワクし、
速くはないけれど楽しい車を作る。
(運転席に座るときは、
茶室に入るような意図的に狭い空間を感じられる造り)

この思想が、世界累計生産台数128万台を超える
「世界で最も多く生産された2人乗り小型オープンスポーツカー」を
生み出したのです。


継承されるイズム

平井氏の「楽しさを死なせるな」という哲学は、
2代目・3代目のリーダーたちにも受け継がれました。
外圧による合理化要求の中でも、彼らは「感動」を守るために、
走る楽しさを科学的に数値化し、フィーリングを磨き続けました。


おわりに:もう一度、自分の「ワクワク」に向き合う

ロードスターを生み出したリーダーたちは、
「自分たちの信じる夢」を形にするために
情熱と覚悟を注ぎました。

それは単なる商品開発ではなく、人生そのものへの
挑戦だと語っていました。

ライフチャートで呼び覚まされた私の「好き」や「夢」は、
過去の思い出かもしれませんが、そのころワクワク感を
を取り戻すための、大切な記憶、経験です。

逆風の中でも「自分に嘘のない本音」で走り抜いた彼らの姿に触れ、
無理なく自然に、「自分がワクワクするもの」をこれからも
探し続けてみたいと思いました。

なお、ロードスターミーティングは
今年で第34回目を迎え、1200台・2000人以上が集まったそうです。

「好き」を貫いた人たちの思いが、今も多くの人の心を動かし続けて
いることを改めて感じました。

*********
■イキイキ働きたいカッコイイ大人のベースキャンプ「さんよし会」
https://s-kando.com/service/sannyoshikai