「一家を廃して万家を興す」小田原・尊徳ツアーより
チームSKM 佐々木千博です。
今回は少し長いですが、心を込めて書いたので
是非最後まで読んでください。
先日、仕事で神奈川県のとある企業様に
生成AI導入研修に行ってきました。
前泊が必要だったので、少し早めに近隣の
小田原で下車して小田原を歩いてきました。
小田原といえば、北条氏が栄えた土地、
そして江戸末期に二宮尊徳が活躍した縁の土地です。
二宮尊徳のことは、以前より勉強しており、
これはいい機会!と、尊徳ゆかりの場所を
回って、尊徳が食べていたという「呉汁」も
頂いてきました。
その時々で、心に刺さる部分は違うのですが、
今回の訪問で刺さったことを、2回程度でお伝えします。
今回、二宮尊徳の足跡を展示する報徳博物館
にも行ってきました。そこの展示で、ぐぐっと刺さった
のが、「一家を廃して万家を興す」という言葉でした。
この言葉に実感を持ってもらうために、
二宮尊徳のことを初めて知った人のために、
報徳博物館に書いてあった展示をもとに
少し背景をご紹介します。
■二宮尊徳の成人までの波瀾万丈
尊徳(子供の時は、二宮金次郎といいます)は、
相模国足柄平野・栢山村に、読書好きで善人と
言われた父利右衛門と、慈悲深い母よしのもとで
中流農家の家に生まれます。
三人兄弟の長男です。
しかし5歳のころに川の洪水で、田畑は流され、
父が人助けで貸していた金銭や米も戻らず、
田を切り売りして生活することになります。
さらに悪いことに、父が過労・心労で倒れます。
12歳になった金次郎、父の代わりに一生懸命働きます。
田畑を耕し、山に柴刈りに行き、子守をし、
人の家の手助けもします。堤防をつくる村普請でも
夜中に草鞋をつくり村人に提供して貢献します。
現代で言えば、小学生労働&社会貢献家&
ヤング・ダブル・ケアラー状態です。
しかし、当然に限界があり、父の薬代も払えず、
どんどん窮乏していきます。
そんな努力も空しく、父は14歳で、母も後を追う
ように16歳の時に亡くなります。
さらに洪水が再び襲いかかってきます。
結果、生活不可能となり、三兄弟はバラバラに
親戚に引き取られていきました。
金次郎は伯父の万兵衛の家に身を寄せます。
金次郎、万兵衛の家でも、昼はよく働き、
夜は勉学に励みました。夜の学びで灯油を
使っているところを万兵衛に見とがめられて、
「百姓に学問はいらない!」と叱られても、
自分で菜種を撒いて油を生産し油を買って学びを続けます。
この頃の様子が、各地の小学校にある
有名な「二宮金次郎像」ですね。
休みの日もそうやって働き、学び、
荒れた用水路や廃棄された実家の田も開墾し、
ついに19歳の頃には伯父の家を出て自立します。
その後も、収穫、小作米の運用、田畑の買い戻し
を進めて24歳のころには一人前の土地持ちになります。
この頃には、自分のことだけでなく、総本家の復興や、
困窮した親戚や友人も助けていたようです。
わずかな種や苗でも、育て増やせば大収穫になる。
「積小為大(小を積んで大と為す)」の
原体験をこのころにしたようです。
そして、ついに24歳(文化2年)の12月には、
念願の自家復興を果たすのです!
■一家を廃するまで
その後も金次郎は学び続けます。
小田原城下に出て、家老服部家の奉公人「若党」
になります。殿のお供で私塾に通い講義を陪聴し、
子息の指導にもあたるようになります。
そのうちに、服部家の使用人が借金苦と知り、
互助的金融「五常講」を組織して救済、
服部家の財政再建まで任されるようになります。
※五常講の補足:「五常講」は「儒教の説く”仁義礼智信”
による貸借保証行為を義務づけた組織で、
日本型信用組合の原型とも言われているものです。
道徳に基づく金融制度。)
藩主に改革を求められては、
升の統一を提案し、それを実現します。
そうやって理財の才能と計画力と実行力
を認められて、興廃した領村の復興を
任されることになるのです。
金次郎が37歳(西暦では1823年)の時、
幕府の老中にもなった小田原藩主 大久保忠真に、
荒廃著しく、役人と予算投下も改善せず、
緊急事態となっていた下野国(栃木県)桜町領の
復興を依頼されます。
この時、桜町領は公称4000石でしたが、
その1/4くらいの収穫しか無かったようです。
(桜町領を現代の会社に置き換えると、
完全に破綻した会社です)
恐れ多いことと、固辞しますが、
何度も依頼され、数理調査を始めます。
そして10年で生産高を倍にする綿密な
計画を提出しましたが、それは領主の年貢を
一定に抑えるという封建社会であり得ないような
内容も含まれていました。
(現代で言えば、債権放棄という具合です)
この実現を果たす覚悟を示すために、
苦心肝胆を乗り越え、苦労して再興した
自身の田畑・家屋の全てを売却し、
復興資金に充てたのです。
すごい!と鳥肌が立ちました。
■「一家を廃して万家を興す」志
金次郎が「一家を廃して万家を興す」覚悟を示し
行動したことに感動した私の胸に浮かんだのは、
現代のリーダーにも共通する“選択の岐路”でした。
私たちもまた、日々の経営で大小さまざまな
再建・改善・改革に向き合います。
利益体質、組織文化、働くメンバーとお客様の幸せ、
次世代育成、どれも大切で一朝一夕では実りません。
積み重ねた努力がある日ふっと一線を越えて「成果」に変わる。
尊徳が「積小為大」を胸に刻んだのは、
まさにそんな場を多く経験したからでしょう。
一方で、尊徳の凄さは
“自分の成功を、自分のためでなく、人や社会に使った”ことです
現代の多少の苦労とは比較にならない
非常な苦労を乗り越えて復興した自家を手放し、
他者・地域・未来のために捧げる。
この魂は美しいと感じました。
しかし、これは極端に見えますが、
実は現代にも活かせる在り方・考え方です。
つまり「自社・自分の枠を越え、より大きな価値創造に挑む覚悟」
をもつことは出来るということです。
いま、人口減・国際関係の変化・
多くの企業が、改めて理念や価値観に立ち返って
組織作りをしたり、DXやAI活用などに挑戦しています。
そのご支援に向き合う中で感じるのは、
やり方や技術そのものよりも、リーダー自身の
“未来に対する腹の決め方”を問われている”ということです。
「まず自分」「まず自社の利益」「まず目先の効率」
だけでは到達できない変革がある。
勿論、身を捧げるほどの無理をせよという話ではありません。
尊徳のそれは自己犠牲では無かったと思いますし、
自己犠牲ありきの貢献は限界があります。
尊徳の教えの本質はもっと現実的です。
・小さな一歩を積み上げる
・自他の利益が両立する構造をつくる
・仕組みで持続可能にする
端的に言えば、この3つではないでしょうか?
現IHIに連なる石川島重工の社長・東芝社長・
経団連会長・第二次臨調の会長として
国鉄⇒JR・電電公社⇒NTT・専売公社⇒JTの民営化
の道筋をつくり、日本の産業と行政改革を牽引した
傑出した名経営者である「土光敏夫」さんは、
二宮尊徳を評して、
『合理的で実行を旨とする報徳の道は、
今日世界の人々が行き詰まりを打破するために
模索している考え方や手段方法に
有力な示唆を与えるはずである。
その新しい道の少しでも早い実現が待たれます。』
と書かれています。
そんな言葉を遺している土光さんは、その清廉さと
行動力から“メザシの土光さん”として国民に
親しまれていたそうですが、きっと二宮尊徳を
範の一つとしていたのではないでしょうか。
二宮尊徳が示した「一家を廃して万家を興す」
という言葉は、
“自分の成功を大きな価値につなげよう”
という現代のリーダーへのメッセージそのものだと感じます。
私たちも、目の前の一歩から「万家」



