マキャヴェリからリーダーシップを考えてみる
前号では、前々号のマキャヴェリの話
~~ 上村さんの前々号メルマガより引用 ~~
西洋のリーダーシップ論として
ニコロ・マキャヴェリという政治思想家の
君主論(マキャヴェリズム)というのがあります。
国王等のトップオブザトップの哲学ですが、
例えばつぎのような考えがあります。
・悪人になる覚悟を持て、非難されてもひるむな。
・愛されるよりも怖れられる方がいい。
・身近に使える者をひどく傷つけるな
・中立の道を選ぶな。叩くときは、徹底的に叩きのめせ。
~~ ここまで ~~
から、これは本当に100%ダメなのか?
ということを考えてみました。
私の好みではない(あえて「好み」と言っています)
が、「経営者の最大の仕事は何か?」と問われて、
何か一つだけ選んで具体的に答えるとすれば、
「会社(価値提供の母体であり、働く人の活躍の場)
を潰さないこと」
という一つの考え方を提示しました。
徳川家康は、豊臣家を徹底的に叩きのめして(滅ぼして)
平和を手にしたという側面もあるかもしれない
という話を書きました。
今日は、経営という大きな話でなく、
上村さんが書いてくれた4つの例を
取り上げながら、身近なリーダーシップ
について考えてみたいと思います。
リーダーシップは、立場・役職に関係なく
誰もが持っていたいものですが、
ここでは分かりやすく課長職の管理職として
考えてみましょう。
ここでは、意訳して、現代社会でイメージして
考えます(当時は生き死にのレベルなので)
■悪人になる覚悟を持て、非難されてもひるむな。
これは部下から見て、嫌なことが言える人、
苦言を言える上司であろう。
部下に嫌な顔をされたくないから
甘言ばかりの上司や、
部下に苦情いわれたら、すぐに前言撤回
するような上司は信頼されませんよね。
そして、そんな上司の言動って、
本当に部下のためなんでしょうか?
■愛されるよりも怖れられる方がいい。
ただし憎まれないようにせよ。
私は愛される方がいいなぁ~とは思います。
しかし、甘やかすから、いい人だと
思われることを愛されるというなら、
それは違いますね。
そして、真のリーダーとは、
チームのために必要ならば、
「憎まれ役を買ってでられるが、憎まれ者にはならない人」
ではないでしょうか?
これは恐れられるが、憎まれない。
に近いように思います。
■身近に使える者をひどく傷つけるな
当時のひどく傷つけるというのはひどい侮辱
だけでなく、拷問などもあったのかも知れません。
昔の王朝などは内部から崩壊したケースも多いです。
現代では、さすがに拷問はないので、
人前で大きく恥をかかせる、面子を傷つける
などが該当するでしょうか?
これは本当に注意したいことですね。
■中立の道を選ぶな。叩くときは、徹底的に叩きのめせ。
例えばA派閥とB派閥があって、主流派争いを
している状況をイメージしてみると、
どっちつかずはどちらからも嫌われますね。
また中途半端に叱ると、
結局その人も反省せず、誰の為にもならないという
こともよくあります。
叱る時は、本気で叱る。
それでこそ、その時は傷ついても、
その本気さが相手に通じたり、
本当の改心につながるのではないでしょうか?
マキャヴェリは15世紀、ルネサンス期の人です。
多くの都市国家や君主国家があった時代で、
権謀術数、色々なこともあったのでしょう。
当時と今をそのまま比較することは、
前提条件が違いすぎて出来ないのですが、
その本質が何だったのかな?
と考えてみることには意義があるように思います。
誰よりも優しく、誰よりも厳しい。
その両極を兼ね備えたリーダーが
器が大きいリーダーと言えるのではないか?
とも思うのです。